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読んでみたぞ、の『風姿花伝』

えー例の検証の話。
2種類の『風姿花伝』を読んでみました。

一つは、講談社より、1972年発行の『花伝書(風姿花伝)』
前半が原文、後半が現代語訳。
注および訳は、川瀬一馬さん。

もう一つは、
1991年に岩波書店から出された『風姿花伝』を底本にした
PHPエディターズ・グループから2005年に発行された
『現代語訳風姿花伝』
こちらは原文なしの、オール現代語訳で
水野聡さんの著。


結論の前に。

こういうときこそ、シェアの精神!
っちゅーわけじゃないですが、
両方とも、図書館で借りたんですよ。

2005年に出た方は、ピカピカだったんですが
(っつか、こんだけ状態いいってことは、
 読まれてない・・・?)、
1972年本って、こんなになるのか・・・(=_=)。

もう閉架図書だったんで
地下書庫からもってきてもらったんですがね、
黄ばみや焼けは、まぁ当然としても、
困ったのが、染み付いたホコリとカビ・・・。

年々アレルギー体質がひどくなってる腐人は、
ページ開いた瞬間、アレルギー反応が出現しました・・・(-_-;)

あわてて読書のためにマスクをしましたが、
おかげで今日は調子悪ーいっ(>_<)

たかだか40年ぽっちでこんなに悪くなるなんて!
腐人の老後の野望は、
「シルバーパスを使って、毎日国会図書館に通い
 未読BLを、朝から晩まで読み漁る!!」
なのに!!
ゲホゴホずるずる言いながら読む羽目になるんか!?

いややーっ!!!

とゆーことを考えたらですね、
図書館でも電子データ化をすすめ、
電子書籍で保存っちゅー話はわからんでもない。

ただ、先日、腐人と同じぐらい
どーしよーもねぇ本中毒患者である
美容師さんと話をしてて、
「電子書籍は無理。目がダメー」
というのは、共通の見解だったんだよなぁ・・・。

ああ、どうなるんだろう・・・。

ま、そんな話はさておき。

検証ポイントとしては3つ。

1)『仕事をしたつもり』で、『風姿花伝』の奥儀伝にある
 とされてる、
 「上手は下衆に受けず、
  下手は上客に飽きられる様を示し、
  本当の芸達者は「衆人愛敬」、
  下衆を笑わせながら、上客に心を伝えるべき」
 というのがあるか。

2)同じく、
 「芸を演じる人は、「関心演目」
 自己こそ最高の観客とすべし」
 というのがあるか。

3)この2)は、
 この意味なら「離見の見」ではないか。


っちゅーことなんですが。
とりあえず、1)については答えが出ました。

ある、とされてたのは、
意味からして恐らくここをさすんだと思われたのが、こちら。


【原文】※以下、原文は講談社『花伝書(風姿花伝)』より
(八段目)
「上手は、目不利(めきかず)の心に
 あひかなふこと難し。
 下手は、目利(めきき)の眼にかなはぬは、
 不審あるべあらず。

 上手、目不利の心に合はぬこと、
 これは目不利の眼の及ばぬところなれども、
 得たる上手にて、工夫あらんしてならば、
 また、目不利の眼にも、
 おもしろしと見る様に能をすべし。

 この工夫と達者を究めたらんしてをば、
 花を究めたるやと申すべき」

現代語訳としては、2冊を読み比べて、
腐人流に書くとこんな感じ。

【現代語訳】
上手な芸は、目が利かない客の気に入ることは難しい。
逆に下手な芸は、目利きには相手にされない。

下手な芸が、目利きの眼鏡に適なわないことに
なんら不思議はない。
また、上手な芸が、目利きじゃない客に気に入られないのは
そもそも批評する眼がないことからきてるが、
芸が巧い人で、自分の実力を発揮する工夫がある人ならば、
目利きじゃない客にも、おもしろいと思える芸をする。

この工夫と芸の熟達をあわせもつ人を、
花を究めた人といってよい。



っちゅーここの部分にですね、
【原文】
(十段目)
「芸能とは、諸人の心を和らげて、
 上下の感をなさんこと」

【現代語訳】
芸能とは何かといえば、すべての人の心を和らげて
あらゆる階層の人を、同じく感動させることだ。

と、
【原文】 
(十一段目)
「この芸とは、衆人愛敬をもて一座建立の寿福とせり」

【現代語訳】
この(申楽)の芸というものは、
万人に愛され、受け入れられることをもって
一座を繁栄させていく基礎としている。

っちゅーのをあわせて、
『仕事をしたつもり』に記載された文章になった
と思われる。
※以下、この記載文を「引用文」とさせてもらいます。


で、だ。
この機会に、とりあえず『風姿花伝』の奥儀に云ふ
だけはしっかり読んでみた腐人としては、
率直に言って、大意としてはあってるのかもしれないが、
なんかちょっとズレを感じるんだよなぁ・・・。

ってのも、引用文では、「芸達者」とまとめちゃってるでしょ。
そこがね、違和感なの。

ってのも、世阿弥さんとしてはさ、
芸が巧いだけじゃなくって、
そこに相手に伝わる、伝える工夫を加えてこそ、
「花を究めた」と言いたい気がするンだよなー。

そう、マンガだって、小説だって、
技巧にばっか凝って、何がいいたいんだかわかりゃせん・・・
っちゅーの出されたら、
いくら美麗な絵柄でも、秀逸な文章でも、
ちっともおもろないもんなぁ・・・。

よくマンガで、
「あの作家さん、絵は描けるんだけどな」
っちゅー、アレになっちゃうんだと思うンだ。

だから、なんかあの引用文のまとめとズレを感じる。


あとねー
10段目、11段目は、割愛しちゃったけど、
「寿福増長」、「寿福延長」って言葉がよくでてくるのだ。

この寿福。
言葉の意味としては、「長命で幸福なこと」だが、
そこにあんまし金の感じがないんだよなー。

むしろ心の満足とゆーか、心の充足?
そっちを大事にしろって読めたんだがな。

演じる側は、見る人が目不利ずだろうが目利きだろうが
そこに伝わるように、熟練した芸をみせるようにし、
それによって観客皆が嬉しく、楽しく思って、
申楽を愛してくれるようになったら、
申楽の発展、申楽自身の「寿福」に繋がる、
っちゅーてる気がする。

腐人の解釈が間違うとる可能性はあるが、
ね?なんかちょっと違う感じがするでしょ?


まーそこを、あえて引用文的に解釈するならば、
「(仕事の)目利きにも目不利ずにも
 皆に満足してもらえるよう、
 仕事のスキルアップと工夫に腐心しなさい。」
って感じ?


それにしても、この世阿弥さんのご意見。
一般論として、世のビジネスにおきかえてみっと、
600年以上前から、物事の本質って。
あんま変わってないよーな気がするなぁ・・・。


で、2)と3)なんですが。

実は『風姿花伝』には
「関心演目」も「離見の見」もありませんでなぁ・・・。

調べてみたら、「離見の見」は、
『花鏡』に載ってるらしい。

・・・ふっ・・・(一_一)
こうなったら、『花鏡』も手を出すか・・・。

っちゅーことで、『風姿花伝』2冊を返却するついでに
『世阿弥能楽論集』ってのを借りてみました。

腐人、能に興味ゼロなんですけどね・・・。
『花よりも花の如く』読んだけど・・・。

ど~こまで続く~よ、この道は~♪

ま、こういう探しモノはキライじゃないんで
腐人が飽きるところまで、ってとこかな。

よろしければおつきあいくださいませ~。

なお、こーゆー場合、資料本に対し、
腐人は、まったく「読書」はしておりませんで、
ゆーなりゃ、文字検索してるよーなもんなんで、
カウントからは除外させていただきます。


以下、読書録。

●7日
(511)一般本 『完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』 マーシャ・ガッセン
  これは、100年間、誰も解けなかった数学の命題、
  「ポアンカレ予想」を証明した
  天才数学者ペレルマンのお話。

  なんですが。

  腐人は数学者の伝記とかを読むのは好きだが、
  自分自身に数学的才能はカケラもなかったりする・・・。

  なので、本書でも、ポアンカレ予想について
  解説してくれてるとこがあるんだが、
  でもって、恐らくそれはかなり噛み砕いてくれてると
  思われるんだが、
  まぁぁぁぁったく!わからんかった!!

  が、いいのである。
  腐人の興味はそこにない。

  あるのは、数学者っちゅーニンゲン、
  それに対してだ。

  そーなのよ・・・
  数学者ってね、はっきり言って、変。
  腐人がみても、変だと思う、変。
  だから、本当に、心底変わってると思うンだ。

  どーみてもこの人達は、
  象牙の塔でないと生きられないよーにみえる。

  っつか、確実に、見えてる世界が違うよな。
  なんつーか・・・絶対音感を持ってる人が、
  プーッちゅー屁の音でも、ドレミに聞こえるように、
  数学者がみてる世界って、
  すべてに数字がくっついてるんじゃなかろうか。

  いったいどーゆー風に世界がみえてるのか、
  みれるもんならみてみたいもんだ。


  ま、そういう人が、どういう人生を送ってるのか、
  その周囲の人達がどういう迷惑、もとい経験をしてんのか、
  そういうエピソードが読みたくて、
  腐人は数学者の伝記を読む。

  これが、本当におもろいのだ。

  凡人は天才を理解できないが、
  天才も凡人を理解できないんだなぁ・・・
  とつくづく思うね。

  このポアンカレ予想の証明も、
  ペレルマンにとっちゃー
  「これでわかるだろ?」
  っちゅー論文をあげてくるわけ。

  でも、同じ数学者であっても、
  そこから読み解くのに、2年以上かかった。

  昔、インドにラマヌジャンっちゅー、
  これまた数学の天才がいたんですが、
  彼もまた、問いに対して、
  ポツンと最終回答だけを出す人だったらしい。
 
  お!これって、『天地明察』の関孝和じゃん!

  ま、それはともかく。
  ラマヌジャンはそんな長生きせんかったんですが、
  3254個の数学の公式を発見した。
  が、それがこういう
  中身の説明がないままのやつばーっかだったもんで
  その後、70年以上、
  数学者たちがその証明に頭を悩ませたという。

  まーなんつーかこういう頭の人達にとっては、
  「なんでわからんの?それがわからん・・・」
  と思うンだろうねぇ。


  ポアンカレ予想が証明されたってのは、
  『ドラ●もん』の最終回が出た!
  っちゅーぐらいな(絶対、違うだろ・・・)
  とんでもない出来事らしく(腐人にその価値はわかりません)、
  これを解いた人には100万ドルがもらえるとなっていた。

  また数学界には、ノーベル賞がなく、
  代わりにフィールズ賞っちゅーのがあるが、
  これは年齢制限(40歳以下)や、
  表彰が4年に1度しかない、という厳しい条件があって
  ぶっちゃけノーベル賞より受賞が難しいといわれてる。

  ペレルマンはこのポアンカレ予想の証明という功績で
  100万ドルもフィールズ賞ももらえるのに、
  彼はそれを断り、普通の社会生活からも遠ざかって、
  今では森でキノコ採取の日々を送ってるとかなんとか・・・。

  なんてもったいない!!

  彼が、なぜそういう心の動きになっちゃったのかは、
  この本を読むと、生い立ちから丁寧に書いてくれてる分、
  なるほど、っちゅー気はするし、
  もしかして、ある種の発達障害か?
  と勝手な推測をしてしまうぐらい難しいとこがあるんだけど、
  それにしても、もったいないなぁ・・・と思ってしまう。

  せっかくの頭脳なんだから、
  なんかもっと自分が楽しくなるように
  使えばいいのになぁ。
  数学でもなんでもいいからさ。

  ただ、この一点集中で、クソがつくほど
  真面目に没頭する力があったからこそ
  ポアンカレ予想が解けたんだろうし。
  今更、軽く生きなよ!なんてゆっても無理なんだろなー。


  ま、それはともかく。

  この本を読んでて、非常にひっかかったことがある。
  それはユダヤ人差別。

  はっきりいって、
  日本人の腐人には、この感覚がよくわからない。

  前にトルコの本で、
  ユダヤ人は世界のどこにいっても迫害される。
  されないのは、トルコと日本ぐらいなもんだとあった。

  なんでなんだろ?  
  歴史に名を残すような、すごく優秀な人多いのに。

  と書いたらわかるよーに、
  ペレルマンもユダヤ人だそうで、
  もし彼がユダヤ人でなかったら?

  考えても詮無い仮定ではあるが、
  今現在の結果が、少し違ってたんじゃなかろうか。
  キノコ採りではなく、
  また新しい命題に取り組んだりしてたんじゃなかろうか。

  そやって考えると、
  人が行う「差別」ってなんなんだろなー・・・
  って考えちゃいますね。

  数学部分はまったく理解出来ませんでしたが、
  一人の人間・ペレルマンをみるには、
  とてもおもろい本でした。
[ 2012/06/08 ] 腹黒読書 | TB(-) | CM(-)

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