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09 | 2017/10 | 11
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『河北新報のいちばん長い日-震災下の地元紙』について

の前に、ここ数日の読書録で
書き漏れてたことを思い出したんで
どーしよーかなー。

『ちはやふる 16巻』
『海より深い愛はどっちだ』
なんだが、ちょっと明らかにこの後の話とカラーがちゃうので、
前にもどって補足することにする。

ご興味ある方は3/14のやつなんで、
あとでみといてくださいませ。



で、東日本大震災の話である。

正直、腐人は、あの東日本大震災のことを
どう言っていいんだか、わからない。

特に、日が経って、
被害の大きさや深刻さがわかればわかるほど、
どんどん言葉を失っていった。

だからまぁ、3/11のブログも逃げたんですけども。


腐人なんぞ、こんなお気楽ブログをやってるだけだから、
そやって「無理!」って逃げることもできるけど、
報道を職業としている人は、
全然整理できてない自分の感情や考えを
イヤでも言葉にしなければならない。

いやはや大変なお仕事ですねぇ。

とまー、その大変なお仕事の記録が、この本である。


読んでて思ったのが、
現場の人にとっては、あの震災はまさに戦争だったんだな、
ということ。

この河北新報さんという新聞社さんは、
仙台に本社があり、東北6県をカバーする地元紙だ。

社名の「河北」だが、明治維新のときに
「白河以北一山百文」
(白河の関より北は、山ひとつ100文の価値しか持たないの意)
といわれた言葉に反発し、あえてつけたという。

うわー・・・な、なんか根深い・・・(ーー;)

会津育ちの菅野彰さんのエッセイでも、
山口出身の編集さんと、確執があったなぁ。

ちなみに、この土着感、
ふるさとを持たない流浪の民である腐人には、
まったくわからん。
一次産業でもないしねぇ。

が、そういう土地柄であり、
そういう地元愛が強い人が多いんだな、
というのはわかる。

それは誌面にものすごくでていて、
なによりも、身近な人々を亡くし、
昨日まで確かに自分のものであったものが奪われ、
ともすれば心が折れそうになっている読者に
どういう形で情報を届ければいいか、
本書には、その苦悩と葛藤がつまっている。

震災後、河北さんが社内でとったアンケートで、
当時の行動を振りかえった方が、
「(その判断が)正しかったのか、今でもわからない」
と回答されていた。

どういうことか例をあげれば、
中央の新聞が軒並み一面にとりあげた、
まさに役所が津波に飲み込まれていく連続写真。

初めは30人ほどいたのに、
最後のカットでは10人ほどになっている。

この写真は震災から日が経って、
報道機関にまわってきたものだそうで、
津波の恐ろしさをみせるには、格好の素材だ。

しかし、河北はそれを載せなかった。

新聞屋としては、
ぜひ載せたいインパクトのあるニュースだが、
それをみたときの地元読者の心情を慮って。

載せたほうがよかったのかどうか、
明確な答えというのはないだろう。

誰かにとっては、
そのとき読めなかったことは、
情報を伝えるという報道の仕事として、間違ってると思うだろうし、
誰かにとっては、
そのとき書かれなかったことで、心がくじけずにすみ、
ありがとうと感謝しているだろう。

万人が万人に受け入れられるものなんて、
この世に存在しないんだから、
それは当たり前で、
あれは失敗だったと思わなかったなら、
それがそのときのベストだったんじゃないかと
腐人は思う。


河北新報は、
「被災者である読者に寄りそう新聞であれ」
という姿勢を貫いた。

腐人は、これがすばらしいと思う。
地元紙として、誇れる姿勢だと思う。


というのも、本書の中では、震災の後、
食糧や資材、印刷する手段、ガソリンなど
必要なものが欠乏する中で、
どうやって新聞を作って、
情報を遮断された被災者に届けるか、
苦心する姿が描かれている。

印刷を請け負ってくれた新潟日報や、
空撮手段がなくなったために、
自社のものに乗せてくれた中日新聞、
支援物資を送ってくれた地方新聞各社、
自社でも被害のなかった山形支局は、
補給基地として食糧、ガソリンの手配に総力であたっていた。


腐人はこの部分を読みながら、
そのとき首都圏ではどうだったかを思い出し、
あまりの落差に愕然とした。


あのとき、首都圏では、
いつもと変わらず、
食糧があふれんばかりに売られていて、
なのに、我先にと、買いあさる人がいた。
飢えても、乾いても、いないのに。


ガソリンだってそうだ。
あの広範囲の被災地に、
新聞を、支援物資を、救助を届けるためには
ガソリンが不可欠だ。

被災地であれだけ尽力してくれた自衛隊も、
あの当時、ガソリンの優先確保ができなかったときく。

支援がとどいてようやく解決のめどがたつまで、
どれだけ大変だったかが描かれているのだが、
そのときの首都圏はどうだったか。

腐人はダーリン用にガソリンを入れに行ったので
その現状をよく覚えているが、
切羽詰って必要とは思えない人々が我先にと並び、
違法を認識しながら、コソコソとポリタンクに買いだめをしていた。


河北さんや被災者の方々は、
電気が途絶え、通信が遮断されたとき、
紙による新聞のありがたみを再認識したという。

しかし、その頃、紙とインクの供給に問題があるときいた
首都圏ではどうだったか。

音声通話がつながらない携帯よりも、
ツイッターなどのほうが通信ツールとして優れてるよね。
紙を媒体にすると、
一つがコケたらそれだけで印刷できなくなる。
やっぱ、これからは電子版だよね。


腐人の周囲では、そんな意見が飛びかっていた。


あの当時ですら、これだけあった感覚の差。
この先、どれだけ開いていくのだろう。

そのとき、どこの場所でそれを経験したかによって、
学んだ教訓が全く違う。

恐らく、自分が当事者にならない限り、
被災者の本当の気持ちも、
災害へ備える思いも、
わからないものなのかもしれない。


今、被災地のがれき処理問題のニュースを、
目にしない日はない。
それだけ、これが被災地にとって、
重要な課題だということだろう。

そんな中、木原音瀬さんのツイッターで、
徳島県の見解が紹介されていた。

↓ 徳島県HP
http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652

腐人はこの目安箱に投書された方と
全く同じ意見なのだが、
この徳島県の回答については、
ちょうど、
『僕のお父さんは東電の社員です
 小中学生たちの白熱議論!3・11と働くことの意味』

という本を、今日読んだとこなので、
それと一緒にやらせてもらうことにします。



それにしても、あれからもう1年が過ぎているのに。
この本を読み、現状をみて、腐人は思う。

被災者の皆さん、怒りなさい

そして、中央でのほほーんとしてる人達に、
その怒りをぶつけて欲しい。

あなたがたにはその権利があると思うし、
このどうしようもない国は、
被害者や被災者こそが行動して、
マスコミなどありとあらゆるものを利用して訴えないと、
そして、
しょせん他人事と、責任から逃れることしか考えてない人々を、
土俵の上にひきずりだし、面と向かって怒りをぶつけないと、
残念ながら、なにも動かない。

そうなってしまっている。

ただ、その体制を作ったのは、
私達自身であることを、忘れてはいけない。


●15日
(282)一般本 『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』  河北新報社 
[ 2012/03/16 ] 腹黒読書 | TB(-) | CM(-)

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